レベルの異なる問題を同じ次元で比較されても

田母神氏講演、広島市長「8月6日はやめて」と要請(読売新聞)
まあ、お題のままの話なのですが、その論法が
被爆者や遺族の悲しみが増す結果になりかねない。広島での8月6日の意味は、表現の自由と同様に重要なもの」
と言う物。
これはちょっと無いんじゃないかな?
被爆者や遺族の悲しみが増す結果になりかねない。」って、田母神さんの核武装を肯定する発言も日本が再度被爆しないための一つの方法論であり、その方法の一つが気に入らないかもしれないといった可能性を前提に言論を封印するのはどうでしょうか?
また、「広島での8月6日の意味は、表現の自由と同様に重要なもの」って言うのも論外です。重要であることを否定するつもりは有りませんが、表現の自由と比較する程の物とは思えず、このような情に訴えるやり方は好きになれません。
「かわいそう」とか「弱者」などを楯に無茶を通すのは如何なものかと思います。