心が萎える

心が萎えるのはどんなときだろうか?
私の場合は、話し合いに活路が見出せなくなったときだろう。
私の好きな色が青で、A君の好きな色が赤。互いに、自分の色がいかに素晴らしいかを力説しても、残念ながら相手には伝わらなかった。自分に何も降りかかって来ないのであれば何とも無い話である。何かが降りかかってくるから、そしてそれを阻止できないから心が萎えて来るのだろう。
季節は梅雨、この時期の通勤電車はなかなかに辛い物がある。
じめじめしている以上に気になることがある。
それはニオイ。臭い、たまらなく臭い。
体臭? 腋臭? 本人も気にはしているかも知れないが、そんな事は構っていられない。
しかもオヤジだった日には、世の全ての憎悪が集中しても仕方が無いとさえ思う。
そして最悪なのは自分が臭う時だ。私はオヤジである、思わず電車を降りてタクシーを拾った。
梅雨時で陽が照らず、干した洗濯物が臭う事は仕方が無い。
でも、そんな時はアイロンを掛けるのではないのか?
乾燥機があるならそれを使うべきではないのか?
言っても仕方が無い。彼女はそんな必要性を感じないのだ。
週に3時間の体育があっても、体操服を洗濯するのは週に一度なのだ。
朝食の味噌汁が傷んでいても、「昨日の内に一度火を通したから」彼女には責任は無いのだ。

朝食は自分で作ればいい。
臭いはファブリーズでごまかせばいい。

ただ、心が萎えて仕方がない。